偉人伝

ちょっとゴルフが知った気になるゴルフ偉人伝②

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

今日は、ゴルファー偉人伝を書きたいと思います。
今回の2回目は、ベン・ホーガンについて紹介したいと思います。

なぜ、ベン・ホーガンを紹介しようと思ったのか?

最強のゴルファーで、かつ、ゴルフ史を通じても屈指のゴルファーに数えられています。(史上最高の選手であると評価もあります)

ホーガンの著作「Five Lessone,Modarn Fundamentals of Golf](日本語訳版「モダン・ゴルフ」)は最も多くのゴルファーに読まれたゴルフのレッスン書として評価されており、これにはホーガンのゴルフスイングのメカニズムについて余すことなく書かれています。
そんな偉人は紹介するに値すると思い、今回の「偉人伝」にて紹介することに決めました。

基本情報

名前: ベン・ホーガン
生年月日:1912年 8月13日
没年月日:1997年 7月25日
出身地:アメリカ合衆国テキサス州ダブリン

メジャー選手権戦績

マスターズ  優勝:1951年、1953年
全米オープン 優勝:1948年、1950年、1951年、1953年
全英オープン 優勝:1953年
PGA選手権  優勝:1946年、1948年

偉人伝

その鋭い眼光「The Hawk]、冷静沈着なプレイスタイルから「Ice Men」などの異名を持つホーガンは、確かなゴルフ技術の経験に裏打ちされた強固な意志と果敢な決断力を持っていたといわれています。
身長は約170㎝、体重64㎏とゴルファーの中では決して体格に恵まれていなかったが、飛距離は出る方でドライビング・コンテストにも出ていました。

1938年から1959年の間、ホーガンの選手生活は第2次世界大戦や自動車事故で中断されたにも関わらず、プロのトーナメントでは64勝を挙げています。
1948年だけでトーナメント10勝を稼ぎました。

しかし翌1949年2月2日36歳の時に自動車を運転中、バスとの正面衝突により瀕死の重傷を負うことに。当時の主治医は、競技ゴルフに参加することはもちろん、二度と歩くことすらできないのではと診断を下した程でした。

けれども1950年のロサンゼルス・オープン大会において、ホーガンは事故のわずか11ヵ月後にトーナメントに復帰を果たました。しかもその結果はプレーオフでサム・スニードに敗れはしたものの、見事2位の成績を収めています。

またホーガンは復活からわずか5ヵ月後にメリオン・カントリークラブで自身二度目となる全米オープン優勝を達成しました。この後も事故で痛めた片足を引きずりながらも、6つのメジャー優勝を含むプロゴルフツアー(PGA)12勝を達成しています。

引退後はゴルフクラブ制作会社を設立。今日でもホーガンの名前を冠したゴルフクラブは数多く製造、使用されています。

あとがき

どうでしたか?ベン・ホーガンもとても偉大なプレーヤーではないでしょうか。
興味があれば、ぜひ「モダン・ゴルフ」読んでみてください。
いろいろな発見があること請け合いです。

豆知識ですが、ホーガンは最初はフックボールを打っていましたが、晩年はフェードボールを打っています。
これはスイング改造をした結果ですが、自動車事故が分岐点となっています。入院中に今一度自分のスイングと向き合い、後遺症と仲良く付き合っていくためにスイング改造をしたといわれています。

これからもいろいろな偉人を紹介していくのでよろしくお願いします。
ではまた~^^