おはようございます。こんにちは。こんばんは。
今日は、ゴルファーの偉人伝を書きたいと思います。第一回目は「球聖」ボビー・ジョーンズ(本名:ローバート・タイラー・ジョーンズ・ジュニア)で行きます。
なぜボビー・ジョーンズ?
偉人伝を書こうと思ったときに、タイガー・ウッズとどちらを書こうかと迷いました。
タイガー・ウッズはゴルフをプレーしない人でも名前は聞いたことがあると思います。
それに比べボビー・ジョーンズはゴルフをプレーする人しか知らないでしょう。知名度的にはこんな感じかと思います。
ではなぜボビー・ジョーンズを第一回目に書こうと思ったのか。
それはボビー・ジョーンズを知っていればゴルフ談話で偉人の話をするときにマウントが取れると思うからです。
ボビー・ジョーンズの名前が出せばみんなの注目を浴びること請け合いです。
基本情報
名前:ボビー・ジョーンズ(本名:ロバート・タイラー・ジョーンズ・ジュニア)
生年月日:1902年 3月17日
没年月日:1971年 12月18日
出身地:アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ市
世界ゴルフ殿堂入り:1974年
メジャー選手権戦績
全米オープン 優勝:1923年、1926年、1929年、1930年
全英オープン 優勝:1926年、1927年、1930年
全米アマ 優勝:1924年、1925年、1927年、1928年、1930年
全英アマ 優勝:1930年
偉人伝
ボビー・ジョーンズは「球聖」と呼ばれたゴルフ史にも残る偉大なプレイヤーです。
終生アマチュアを貫いたことでも有名です。
実は終生アマチュアを貫いたことには理由があります。
それはボビー・ジョーンズが活躍した年代と関係してきます。
当時の1900年前半はまだゴルフの認知度は今ほど高くはなく、社会的地位も高くはありませんでした。プロとして生計をたてるのが難しい時代ですね。
ボビー・ジョーンズの本業は弁護士でした。プロゴルファーになるよりもはるかに年収も地位も高かったからだと言われています。
けれどもゴルフの実力はアマチュアながらプロを上回っていました。
1930年28歳の時に当時の世界4大タイトルを全英アマ(セントアンドリュース)、全英オープン(ロイヤルリバプール)、全米オープン(インターラッセンカントリークラブ)、全米アマ(メリオンゴルフクラブ)の順に優勝し、何と年間グランドスラムまで達成したのです。
スポーツ界において「グランドスラム」という言葉が用いられたのはこれが最初とされています。
同年、全米アマチュア最高の賞である第一回ジェームスサハリン賞を受賞し、年間グランドスラム達成の7週間後、ボビー・ジョーンズは28歳で競技生活から引退しました。
引退しても、ジョーンズはゴルフにかかわり、弁護士業務の傍らにマスターズ・トーナメントの創設やそのマスターズが開催されるオーガスタナショナルゴルフクラブのコース設計にも携わっています。
ジョーンズの設計思想は、30個足らずと少なくし、フェアウェイも普通のコースの倍近く広く、ラフも浅く、ロングホールは巧打を2回続ければグリーンに乗るよう設計するというものでした。
また競技ゴルフの使用クラブ数の決定にも関与しています。
例えば、1934年、1935年に全英アマと全米アマを連続制覇したローソン・リトルは31本使用し、これに対しイギリス人キャディが「重すぎる」とクレームして、クラブの本数制限の議論が活発化してきます。これに対し、1936年ウォーカーカップが開催されたパインツリーゴルフクラブの駐車場のロールスロイス車中でジョーンズ(アメリカ代表)ととにー・トーランス(イギリス代表)が会談した。ジョーンズが年間グランドスラム時に使用したクラブの本数は16本、トーランスが1試合で使用したクラブの本数は最多12本で、ジョーンズが「中間をとって14本にしよう」とトーラスに告げ、トーラスがそれをR&Aルール委員会のロバート・ハリス伝え、これが1939年制定の規定へつながったといわれています。
あとがき
どうでしたか?タイガー・ウッズは誰もが知っている偉大なプレイヤーですが、ボビー・ジョーンズもすごいエピソードを持つ偉大なプレイヤーであることが解っていただいたかと思います。一般的にボビー・ジョーンズで知られているのは、「生涯アマチュア」、「年間グランドスラム」、「マスターズ創始者の一人」の単語くらいです。
ゴルフ談義で偉人の話になった場合は、ぜひこのエピソードを語ってみてくださいね。
ちょっとゴルフが知った気になるゴルフ偉人伝。
これからも定期的に書いていくのでよろしくお願いします。ではまた~^^