偉人伝

ちょっとゴルフが知った気になるゴルフ偉人伝③

おはようごさいます。こんにちは。こんばんわ。

今日は、ゴルフ偉人伝を書きたいと思います。
ゴルフ偉人伝も今回で3回目となりました。
ボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガンに続いての3回目はペイン・スチュワートをご紹介します。

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ニッカーズスタイルがかっこいい!

ペイン・スチュワート・・・多分知らない人が多いかもしれません。
実はPGA海外メジャーを3勝する程の偉大なプレーヤーです。
ベン・ホーガンといえばニッカーズスタイル!とゴルフを詳しい人はペイン・スチュワートと並んで、ニッカーズスタイルの代名詞とも言われています。

時々芸能人のゴルフコンペの放送がテレビでされることがありますね。
その中でも数多くの芸能人が出演する「叙々苑カップ」がありますが、その中でニッカーズスタイルでプレーするのが俳優の舘ひろしさん!
細くて身長も高いのでよく似合いますよね。あとダンディーな感じがうらやましいです。

舘ひろしさんの話はひとまず置いといて、ペイン・スチュワートを紹介します。

基本情報

名前:ペイン・スチュワート
生年月日:1957年1月30日
没年月日:1999年10月25日(42歳没)
出身地:アメリカ合衆国ミリーズ州スプリングフィールド

メジャー選手権戦績

全米プロ 優勝:1982年
全米オープン 優勝:1989年、1999年

偉人伝

ペイン・スチュワートは試合の時はいつもタモ・シャンターの帽子とニッカーズスタイルでプレーし、誰から見ても見分けがつくように誰かとウェアがかぶるのを嫌がったためといわれています。

4歳からゴルフを始め、1979年にプロ入りしますが、初めからPGAでプレーしているわけではありません。
この時は「クオリファイイング・スクール」を通過できず、シード権を獲得できませんでした。
そのため2年間ほどアジアンツアーを回り、アジアン・ツアーで2勝を挙げています。

1982年にPGAツアーに参戦し、その年に「クワッド・シティー・クラシック」でツアー初優勝を果たします。
7年後の1989年に全米プロゴルフ選手権でメジャー初優勝をし、1991年には全米オープンでも優勝しメジャー2冠を達成します。
しかしこの後数年間の低迷期を経験します。

全米が歓喜した1999年全米オープン

1999年の全米オープンは、タイガー・ウッズやフィル・ミケルソンに加えビジェイ・シンらが2打差を争う接戦となり、全米オープン史上稀に見る激戦でした。

その中でスチュワートとミケルソンが優勝争いをし、18番の最終ホールでスチュワートは難しい長ーーーーいパーパットを残します。
誰もがミケルソンとのプレーオフに突入すると思っていた中で、なんとスチュワートはその長ーいパーパットを沈め、優勝を決めました。
今なお語り継がれるスチュワートのガッツポーズが炸裂します。
ペインは大会を制し見事全米オープン2勝目を挙げました。
その年は9月に1993年以来3回目のライダーカップにも米国代表で出場しています。

突然の別れ・・・そして伝説へ

感動の全米オープンの激闘からわずか4ヶ月後。
1999年10月25日、スチュワートはPGA選手権の会場があるテキサス州ダラスへ向かう為に搭乗したプライベートジェットが墜落するという飛行機事故に遭い、突如その一生を終えてしまうのです。

PGAツアー選手権の会場も、スチュワートの死を聞いて悲しみに包まれます。
競技の2日目は中断され、出場選手のほとんどが追悼式に列席しました。
その為3日目と4日目は27ホールを消化する競技日程に変更されています。

翌年6月にペブルビーチで行われた全米オープンでは追悼セレモニーが行われました。
大会初日の前日、朝日とともに50名程度の出場選手が集結し、集まったプロたちはペイン・スチュワートのために太平洋に向かってボールを打ち込み、涙を流す光景はその場にいた皆が感動しました。

あとがき

今でもYouTubuでみることができますが、1999年全米オープン最終日18番のながーいパーパットを決め、ガッツポーズの後にフィル・ミケルソンに対してペインが何かを言っています。
自分はそのシーンがとても印象的で感動したことを今でも鮮明に覚えています。

当時、フィル・ミケルソンは妻がいつ出産してもおかしくない状況下でプレーしていました。
パーパットを決め勝利したスチュワートは敗者のミケルソンをつかまえ、「良い父親になれ‼」と彼の顔を引き寄せながら、そう伝え激励したのです。
翌日ミケルソンは第一子の父親になりました。

スチュワートは、前年の全米オープンで優勝争いの上で負けています。その雪辱を晴らすべく、翌年優勝を果たしたところでした。そんな彼はミケルソンにエールを送りたかったんだと思います。

最終日はちょうど父の日。今にも第一子が生まれようというタイミングで優勝争いを演じたミケルソンへのエール。
それは、自分自身の経験を踏まえた上で、来年はお前が優勝を果たすんだ、というメッセージだったんですね。

ボビー・ジョーンズやベン・ホーガンに比べると少し印象は弱いかもしれません。
しかし偉大なプレーヤーで皆から愛された伝説のプロゴルファーであることに変わりません。
たらればですが、スチュワートが飛行機事故に遭っていなければ、翌年から訪れるウッズの全盛期もどうなっていたかも分かりません。人生って本当にわからないものですね。

これからもこういった内容の偉人伝を書いていきますのでよろしくお願いします。

ではまた~^^